天国に行ってきたという証【1分で読めるマナメール第150号】

マナメール

コリントの信徒への手紙二12章1-7節
天国に行ってきたという証は、どのように評価すべきでしょうか?パウロは特別な神体験を証することを、自慢話をすることであり、無益なことだと言っています。神体験を誇らずに証することはできないのです。そして、神体験の証が無益なのは、それによって人を建て上げることができないからです。パウロは誇っても無益だと分かっているので、第三の天の楽園に行って、言い表しえない言葉を耳にしたことを明かしましたが、それ以上の詳細な説明はなく、控え目です。控え目な説明の中でも、楽園についての唯一と言ってよい描写は、「人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にした」ということでした。人が口にするのを許されないというのは、隠されている奥義だからでしょう。楽園の特徴は、奥義の言葉が語られるのを耳にすることができるということです。それであれば、聖書を解き明かすメッセージを聞くことは楽園とよく似ていることになります。だから、パウロは多くの奇跡体験をしてきながらも、体験について語るのはほどほどにして、奥義を語って人を建て上げることに専念したのです。神体験を追いかけるのはほどほどにしましょう。メッセージで奥義を聞くことこそがあなたを建て上げます。

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