コリントの信徒への手紙二13章1-4節
仮に神の子がしたら、容赦なく懲らしめられなければならないことは、どのようなことでしょうか?御言葉が語られた時に、素直に受け入れずに、それが神様からのものか証拠を求めることです。コリントの信徒たちはキリストがパウロを通して語っている証拠を求めました。御言葉を御言葉として受け取らず、メッセージをメッセージとして受け取らなかったのです。聞き従えと言うからには、証拠を見せなさいという未信者のような態度です。未信者がそういう態度をとることは致し方ないことですが、神の子はありえないことです。神の子はキリストに結ばれていますので、キリストはどの神の子の口を通しても語ることができます。ましてや、神が教会の上に立てた器を通してキリストが語ることは至極当然のことです。また、証拠を求めるというのは、神と神が立てた権威を恐れない不遜な態度でもあります。それは危険なことであり、キリストが強い方であることがわかっていないのです。容赦ない懲らしめの内容はキリストを通して与えられます。受けている祝福の一部が一時的に取り去られるということがあります。キリストによる喜び、平和、力、守りがなくなることは恐ろしいことです。御言葉が語られたら、アーメンと受け入れましょう。
容赦ない懲らしめ【1分で読めるマナメール第151号】

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