律法による意識と信仰による意識【1分で読めるマナメール第152号】

マナメール

ガラテヤの信徒への手紙3章21-29節
律法とは、何のために与えられているのでしょうか?キリストのもとへ導く養育係の役割を果たすために与えられています。キリストを知らない人は、正しいことを行って義とされることを目指す意識と、行うことができず、義とされていないことによる罪の意識を持つようになります。その葛藤の中で、罪からの救い主、イエス・キリストを信じることによる義を求めさせるのです。一度、イエス様を信じたらもう義とされているので、行いによる義を求める必要はありません。律法主義はもう卒業です。それでは、信仰によって義とされた人はどのような意識を持って歩むのでしょうか?自分が神の子であるという意識、すなわちアイデンティティーと、すでに義とされているという意識です。キリストを着ているとあります。神様があなたを見る時、いつもキリストのように完全に正しく見えるのです。「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と神様はあなたに言われます。このことは、どのような身分、性別、国籍であろうと関係ありません。落ちこぼれは一人もいません。

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