コリントの信徒への手紙一11章17-22節
集会は、励まされ、力付けられ、互いの向上になるものです。遣わされる場所で実を結ぶべく整えられるものです。ところが、悪い結果を招く集会もあるとのことです。どんな集会でしょうか。仲間割れがある集会です。仲間割れはなぜ起こるのでしょうか。主導権を争うためです。立てられた指導者の権威を軽んじたり、互いに誰が偉いかを競ったりするのです。また、食事について自分勝手であることです。皆自分の分を勝手に食べてしまい、誰かがひもじい思いをしたり、酔っ払っていたりするのです。他の人の必要が満たされることを気にかけ、祈り、時に必要なサポートを惜しまないことが必要です。すべての仲間割れを終わらせるのは聖餐です。主の聖餐をいただくことは、すべての争いの終戦であり、互いに愛し合い、必要を分かち合う時の始まりです。そうせずには「主の晩餐を食べることにならない」とある通り、聖餐にはならないのです。聖餐とは、そういうものなのです。
争いの終わり、分かち合いの始まり【1分で読めるマナメール第225号】

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