異言の解き明かし【1分で読めるマナメール第226号】

マナメール

コリントの信徒への手紙一14章10-19節
言葉を誰かに語るなら、意味が伝わらなければなりません。異言もそうです。異言を語れるなら、教会を建て上げる預言としても扱えるように、異言を解釈できるように祈らなければなりません。どのように祈り、どのようにしたら異言は解釈できるようになるのでしょうか。異言の祈りと理性の祈りを交互にすることによってです。異言の祈りをした後に意図して理性の祈りをすると、それが異言の内容の解釈にもなります。さらには、理性の祈りをした後に異言で祈ると、理性の祈りの内容を深める異言となります。そのようにして異言の内容の方向性を理性の祈りで決めることができるのです。解釈は、特に教会に来てまもない人が「アーメン」と言えるようにする上で必要です。自分の満足を求めず、新しく来た人々が成長することを求めることが神様の御心なのです。特に賜物はそのように愛を目的にして使っていくものです。

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