手引きしてくれる人がなければ【1分で読めるマナメール第128号】

マナメール

使徒言行録8章29-40節
どうして同じ聖書を皆が持っているのに、牧師が日曜日に聖書を通してメッセージを語るのでしょうか?啓示された知識に差があるからです。啓示とは、神様から隠された情報が示されることです。聖書には、啓示によらなければ悟れないことがたくさん隠されています。エチオピアの宦官は、「読んでいることがお分かりになりますか」と聞かれて「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と答えました。フィリポは啓示された知識を豊かに持っていましたが、宦官は持っていなかったのです。そこで、フィリポがその箇所から説き起こすと、宦官は悟り、水のバプテスマを受けるという行動まで起こしました。つまり、啓示された知識を持っていない者は、持っている者から受け取ることができるのです。日曜日のメッセージでは、啓示された知識のインパーテーションがなされています。牧師は更なる啓示を受け取るように励み、信徒はメッセージをキャッチするように励むと、皆が同じ啓示に歩み、成長し、御言葉に生きることができます。

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