ガラテヤの信徒への手紙2章16-21節
信仰によって義とされるとはどういうことなのでしょうか?キリストへの信仰によって義とされるということと、律法によって罪人と定められることは決して両立しません。キリストによって義とされた人は、あくまでも義人であり、罪人ではありません。もはやキリストと共に十字架につけられて律法に対して死んでいるので、律法によって罪人と定められることはないのです。自分が罪人だとすることは、キリストの死を無意味にしてしまうことです。行いによって義とされようとすることに戻ってはなりません。それは、一度打ち壊したはずの建物を再建しようとするようなものです。それは、信仰による義が間違っていたとみなしてしまうことなのです。行いによる義は打ち壊したままにしましょう。では、キリストと共に律法に対して死んだあなたは、どのように生きるのでしょうか?キリストと共に復活し、キリストの命に生きます。あなたの人生は、キリストの人生も同然なのです。キリストがあなたを愛し、あなたのために身をささげてくださったので、キリストに生きることがあなたの喜びとなります。
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