油注がれた者として生きる【1分で読めるマナメール第183号】

マナメール

マタイによる福音書25章1-13節
愚かなおとめと賢いおとめはどちらもともし火を持っていました。愚かなおとめと賢いおとめの違いは、油を持っているか持っていないかでした。油は、神様が特別な使命と権威を与える人に注がれます。キリストを信じる者はキリストに結ばれており、キリストと共に油を注がれた者です。キリストのように宣教し、弟子を作ることが使命として与えられており、そのための権威を与えられています。そのことを悟っていると、油注がれた者として歩めます。そのことを悟っている人は、ともし火が消える心配もありません。いつも進むべき道がわかっていて、迷うことがありません。力が尽きてしまうこともありません。キリストがその使命を全うされたように、あなたも使命を全うすることができ、キリストに喜び迎えられることになります。

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