フィリピの信徒への手紙1章15-21節
どのような動機を持ってしたとしても、キリストを告げ知らせることは、神から喜ばれます。ある者は愛の動機からキリストを告げ知らせ、ある者はねたみや争いの念にかられて不純な動機からキリストを告げ知らせます。ところが、使徒パウロはどんな動機であれとにかくキリストが告げ知らされているので、喜ぶと言います。しかも、これは一時的なことではなく、これからも喜ぶというのです。パウロにとって、生きるとはキリストです。パウロはキリストの思いを持っているので、パウロが喜ぶということは、キリストが喜び、神が喜ぶということです。善いことであっても、純粋な動機か心を探ることは時に必要ですが、伝道については何であれ神から喜ばれます。伝道をするということ自体が大事であり、常に急務なのです。だから、誰の伝道の収穫についても喜びましょう。そして、自分が純粋かどうかなどとためらわず、とにかくキリストを告げ知らせようではありませんか。
福音を告げ知らせる動機【1分で読めるマナメール第237号】

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