御声を聞く人が立てられる時【1分で読めるマナメール第316号】

マナメール

ヨハネによる福音書2章1-11節
カナの婚礼において、イエス様の母が「ぶどう酒がなくなりました」とイエス様に言った時、イエス様は「私の時はまだ来ていません」と言われました。一見、対応を断ったようですが、イエス様の時が来れば対応するということでもありました。そして、時というのは、ただ待つものではなく、到来させることができるものです。イエス様の母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と依頼しました。つまり、御声を聞く人々を立てたということです。すると、たちまちイエス様の時が来て、イエス様は召し使いたちに命じて水を運ばせ、水がぶどう酒になる奇跡が起きました。御声を聞く人が立てられる時こそ、イエス様が働かれる時なのです。あなたが御声を聞こうと静まる時、イエス様があなたの人生で働かれる時が到来します。

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