ローマの信徒への手紙15章14-16節
教会は、善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができる成熟した者たちです。自浄作用が教会にはあります。不義が放置されてしまうことはありません。罪の指摘を牧師まかせにしてはなりません。イエス様によると、牧師が登場するのは最終段階だけで、まずは信徒たちの間で解決をはかるものなのです。そのような成熟した教会なのに、神の言葉が鋭く語られるのはなぜでしょうか。神の言葉が鋭く語られるのは、あなたが駄目だからでも未熟だからでも愛されていないからでもないのです。神の言葉はもともと鋭いものです。神の言葉は思い切って大胆に語られることを通して、聞く人に記憶の刷新をもたらします。それを聞いた人は、聖なる神に喜ばれる供え物となるのです。
互いに戒め合う成熟した群れ【1分で読めるマナメール第353号】
マナメール

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