憐れみであっていけにえではない【1分で読めるマナメール第177号】

マナメール

マタイによる福音書12章1-8節
「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」と主は言われました。憐れみがいけにえよりも優先されます。ここで言ういけにえとは、宗教的な義務のようなものです。一見、宗教的な義務を果たしていないように見えても、それを咎めるのではなくその人の必要に目をとめて憐れむことが必要なのです。弟子たちは空腹だったので、麦の穂を詰んでもみ、安息日にしてはならない労働をしているように見えたので、ファリサイ派の人々は指摘しました。しかし、ダビデの前例の通り、とにかくルール通りにすることよりも、空腹を満たすことを優先して良いのです。神殿で仕える祭司は安息日違反になりませんでしたが、イエス様は、神殿よりも偉大です。イエス様と結ばれている神の子は、いけにえのことで咎められる必要はありません。いけにえはすでにイエス様が十字架で御自身をささげられたことによって、もう十分です。あれをしていない、これを破っていると自分や他人を裁くことはやめて、憐れみの心で見るようにしましょう。

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