誰の血についても責任がありません【1分で読めるマナメール第132号】

マナメール

使徒言行録20章25-32節
責任を問われることのない宣教の働きをするにはどうすれば良いでしょうか?パウロはエフェソの長老たちに別れを告げるにあたって、「誰の血についても、私には責任がありません」と言いました。そう断言できたのは、神のご計画をすべて、ひるむことなく伝えたからです。つまり、神から啓示として受け取ったことを余すところなく、人をはばかることなく伝えたということです。神からのものを全部を十分に伝えることができれば、あとは受け取り側の責任だけだということになります。パウロはそうするために「昼も夜も涙を流して教え」ました。また、パウロは、聖霊が神の教会の世話をさせるために、群れの監督者とした長老たちを任命する上でも用いられました。弟子訓練をして、指導者を立てることができれば、その人たちを神と恵みの言葉にゆだねることができます。自分が去っても、神の教会は続いていくのです。神のご計画のすべてを十分に教えましょう。指導者を立てましょう。

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